南山舎代表が綴る15年経過報告

15年経過報告その2『情報やいま』2001/11月号より

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大宅文庫の11年間
 東京での15年のうち、その大半の11年間を財団法人大宅文庫で働いた。マスコミ天皇と称された評論家大宅壮一が遺した図書館である。
 この図書館の特色は大きくいうと2つあった。雑誌を中心に集めていたこと、その記事索引を作っていたこと、である。
 たかだか5~60坪しかない小さな図書館が、今やその道では知らぬ者のない専門図書館となった秘密は、じつはこの点にあった。つまり欲しい資料にすぐに行き着くことのできる索引システムができていたのである。
 索引というたったひとつの工夫(書籍重視の時代に雑誌を集めたという大宅壮一の先見の明をも工夫とするならそれも加えていい)である。
 工夫こそ大事なのだ、たったひとつの工夫でいいんだ、ということを大宅文庫の11年間で教えられた。

新聞記事検索システム
 帰郷して15年間のブランクを埋めるべく過去の新聞をめくっているとき思いついたのが、「八重山で発行された新聞の記事索引を作ったら、少なくとも大正以降(八重山で初めて新聞が発行されたのは大正6年である)の八重山の歴史を自分たちのものにできる」ということだった。
 当時まだ一般的でなかったパソコンでサンプルをつくって市立図書館に持ち込んだ。図書館はまだ準備室の時代だったろうか。『八重山の戦後史』の著者である、いわば「資料集め」のプロである大田静男さん他が大いに賛同し、説得につとめてくれたようだ。
 図書館長ほか多くの人の後押しで「新聞記事検索システム」は実現し、現在までその作業は続いている。日本広しといえど、地域紙の記事索引づくりをこれほど徹底してやっている図書館は無いのではないだろうか。

 さて、外に対しては「八重山への入り口づくり」を、内に対しては「八重山の発見」を、というのが当時考えていたことだった。
 とくに15年間留守にしていた島を改めて眺めるとそこはとても輝いていて、「こんな身近にいいものがいっぱいあるじゃないか」といって回りたい気分だったのだ。だから、『八重山手帳88』の腰巻きに「小さな発見のある人生」なんてコピーを刷り込んだりもした。
 八重山をもっと身近に、と考えていたので、企画記事など書かせてもらっていた八重山毎日新聞社に、『琉球新報』に週1回折り込まれる「レキオ」のようなものを作りましょう、と提案した。
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『週間ヤイマ』から『情報やいま』
 普通の人が気軽に登場し、実用的で、親しめて、ハッと小さな発見があるもの…。
 そうして『週間ヤイマ』はスタートしたのだが、残念ながら3か月あまりで打ち切りとなった。広告収入が芳しくないということだった。南山舎は編集を任されていた。
 折ればタブロイド判、のスタイルで、今見てもレイアウトはなかなか洒落ているし、内容もなかなか面白い。
 とくに、週間スケジュールは八重山の行事やイベントを徹底して集めて、たとえばアンガマがどこをどう廻るかというところまで載せて評判だったのだが…。
  
  
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 ところで『週間ヤイマ』をスタートするときに、スタッフを集めた。2名+アルファ。が、打ち切りになった。どうするか思案した。で、月刊誌『情報やいま』を発行することにした。独自で。

 金銭的な不安を抱えながらスタートに踏み切ったのは、それを発行することの意義を十分に感じていたからだ。
 『やいま』を創刊して10年たち、今号でちょうど100号、ここまでよく続けることができた、というのが実感である。
 そこで思うのは、何かをやり続けようとするとき、経済的に続くかどうかも大切なことだが、ギリギリのところで継続できるかどうかとなると、やはり意義ややり甲斐がどれほどあるか、どれだけそう感じているか、だろう。
 ところが、意義ややり甲斐は空気のように目に見えにくいものだから、手の中をするりと抜け出していきそうだ。
 だから、ときどき『八重山手帳』創刊の時を思い出したり、『やいま』の創刊の辞を読み返したりするのだ。

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